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NOTE 08)2ヶ月経った被災地の現状(ボランティアに参加して Part1-4)

 2011-05-13
牡鹿半島でのボランティア活動を終えてからNPOの団体を離れ、ひとりで被災地をいくつか見て回りました。これまでの人生で何度か東北を訪れていて、(おそらく関東地方を除けば、東北地方を旅することが一番多かったと思う。)スキーで行くこともあったし、いくつかの東北のお祭りを見に行ったりもしました。
戦時中父親が宮城県に疎開していたこともあって父親が東北好きで家族旅行でも何度か足を運んでいます。叔父が福島県に住んでいることもあるし...。ぼくとつでやさしい人が多いかなと思っています。実際牡鹿半島にも高校の時に家族旅行で訪れており、確かバスで鮎川漁港まで行って、そこから船に乗って金華山に渡りました。

その鮎川漁港は今、昨日のブログの中の写真(3枚目)のような状況で、当時の面影を探すすべもない...。大学1年の時はサークルの巡検で三陸を回りました。
当然過去の津波とその対策についても実地見聞をすることになった訳です。
そこで田老町である。過去津波に何度も襲われ全村全滅が繰り返され、もう津波には負けまいと巨大な防潮堤をつくった町です。
詳細は以下
http://www.gyokou.or.jp/100sen/100img/02tohoku/021.pdf

photo8

それは威圧感さえある堤防で、ここまでしなきゃならないのかとさえ感じさせるでっかい建造物だった。その田老万里の長城ともよばれた、あの防潮堤をも超えて町に襲い掛かってきた津波...。あの時現地でみた威圧感さえあるあの壁を越える津波...。
今回この目で確かめたかった現場です。

!....あり得ない...。

堤防より海側はもちろん、山側もガレキ...。
確か堤防近くまで家屋はあったはず。そんな軒先から見る堤防は圧迫感すらあったはず。でも今そこには何もない。
ずっと山側まで何もない。

photo9
photo-10
photo-11
photo-12

防潮堤の上に立っていると息苦しくなる...。だんだん風景だけの世界になり、音もにおいも無くなってしまう感覚に襲われました。その後、宮古から磯鶏へ。
大学1年ですからもう30年経っているので、その時お世話になった宿も、おいしかった磯鶏ラーメンのお店も地元の人にお伺いしたら現在もうなくなっていたようです。もし残っていたらこの津波で大きな被害を受けていたことでしょう。
両方とも海の近くでしたから...。

さてその後、海沿いの45号線を走って石巻まで戻り、そこで1泊して翌日また南下です。海岸沿いにでるたびに同じような光景が延々と繰り返されます。

 - 山田町
photo13

- 大槌町
photo14

- 釜石市
photo15

- 陸前高田市
photo16

- 石巻市
photo17

- 名取市...。
photo18

そして原発地域を巻いていわき市小名浜。
photo19


これが2ヶ月たった被災地の状況です。
同じ被災地といっても津波の被害がなかった地域や、被害がそれほどでもなかった地域はほぼ普通の生活に戻りつつあります。コンビニもファミレスもそしてパチンコ店もいつもと変わらぬ感じで営業していたりもしています。 被害の激しい被災地からほんとに車で数十分、距離にして数キロはなれた場所だったりします。
でも復興にはまだまだ遠い地域がいくつもあります。
まだまだ多くの支援が必要なところです。
こんなところにも格差がついて、そのうち忘れ去られてしまうといったことがあってはいけないと思います。私自身もそして会社としてもできることがあれば最後まで支援を続けていきたいと思います。

おわり
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カテゴリ :東日本大震災
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