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NOTE79) 2年5ヶ月後の復旧と被災地の今

 2013-08-29
去年は家族4人、全工程一緒だったのですが、
夏祭りのお手伝いの際は、宿泊場所の関係で娘には厳しいので、
今年は前半の夏祭りの手伝いは、息子と二人で参加して、
後から家内と娘と合流することにしました。

13日早朝に家を出発して、午後2時過ぎに石巻の拠点に到着。
その日の準備活動はほぼ終わってしまっていたので、
2年前に息子も一緒にボランティアで作業した尾崎に行ってみることにしました。

車を北上川河口へ向けて走らせます。

道すがら目に飛び込んでくるのが「大川小学校」。
今年はこの地区で亡くなった方の名前が刻まれた慰霊碑が新たに建立されていました。
大川小2013
↑写真右端当たりに慰霊碑

橋のたもとの三角地帯(子供達が避難しようと向かっていた場所と言われている)から
河口に向かう道路沿いで目に入ってくるものは、この小学校と墓地くらいです。
津波に襲われた家屋等の建築物は基礎からすべて取り壊されていて、
ただ夏草の生えた原野が広がるばかりです。
そこにあったはずの街並みなど想像することは困難です。
ただ津波によってコンクリートがめくれ上がり、
ぬかるみに何度もスタックしていた道路は綺麗に舗装されていました。

この北上川の右岸地域では大川小学校の少し上流の谷地から
下流の釜谷、長面、尾崎までの広い範囲が災害危険区域に指定されています。
ということは今後人が住むのが難しいということで、
この学区のほとんどに人がいなくなってしまうということです。
津波の難を逃れた人達も、生活の拠点を変えざるを得ない状況にあるのです。
それはその人にとっても、その地域にとっても決して容易なことではないと思います。

長面浦の対岸の尾崎は津波によって橋が流され、支援の手が長く届かなかった地域です。
2年前の夏に津波被害を受けた家屋の整理のお手伝いをしました。
去年訪れた時にはまだ家屋は残っていたのですが、今年は取り壊され、基礎だけが残っていました。
尾崎2012
↑去年の様子
尾崎
↑今年 

尾崎地区も災害危険区域指定され、今後居住用の建築物の建築ができません。

ただこの尾崎は漁業の基地としては今も利用されています。
しかしなんとこの地区に電気が通ったのはこの8月下旬です。
震災後2年5ヶ月経てようやくです!
対岸の長面地区が震災の影響でほぼ全区画が水没してしまっており、
なかなか作業が進められなかったのが原因のひとつということですが...。
onosaki12.jpg
↑去年の長面地区 今年は建物すべて取り壊されていました。

それにしても時間がかかりました。
でも下水道はまだ復旧してません
尾崎で漁業営む人達は市内の仮設住宅等から毎日30分以上かけて車で通っています。
電気がなくても、水道が通ってなくてもここでの仕事を生業とし、続けていく人がいるのです。

道路が整備され、電気が通り、防潮堤が高くなり、復旧の道筋はついても、
人の営みを取り戻すことが重要だと思います。それが復興ということだと思います。

被災地はまだ立ち止まって先へ進むことができないような現実がたくさんあります。
そんな中でも復興に向けて一歩一歩進んで行こうとする人達とそれを支えようとする人達の志もまたたくさん存在しています。


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カテゴリ :東日本大震災
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