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NOTE 96) 復興ってⅡ

 2015-07-16
前回エントリーしてから10日。

その間にまた訳のわからない事が起こる。
ブログがちっとも先に進まない。

7/15安保法案が衆議院の委員会で強行採決され可決。
時の首相は国民の理解は進んでないと認めるも、採決の判断は委員会に丸投げ、
当の委員長は強行採決後、法案一括化に苦言を呈する始末。
本当にそう思っていて強行採決をする神経はもはや理解の限度を超えている。

集団的自衛権って、自衛って言ってるけど、
同盟国と一緒に自分の国と関係ないところでも戦争するってことに他ならない。
日本国憲法との整合性はまったくとれていない。
やり方が間違っているから説明できない。だから答弁でも何言ってるかわからない。
戦争とチンピラの喧嘩を同列に扱って説明する首相の顔は醜悪だった。

そんなどさくさに紛れて、原子力規制委は伊方原発の新基準合格の審査書を提出した。
そういえば川内原発は核燃料が挿入され、8月中旬には商業運転再開をするようだ。
いよいよ原発も動き出すのか...。


DSC_0312.jpg
1階部分がぶち抜かれたような家屋。
4年前の石巻ではない。
2015年7月4日の福島県富岡駅前だ。
4年前から時が止まっている...。

7/5の雄勝でのお茶っこに参加する前に富岡に立ち寄った。
常磐道富岡ICを降り、富岡駅を目指す。
ICを降りるとすぐ、異様な光景に出くわす。
DSC_0304.jpg
「負けるな富岡町」と書かれた大きな看板が目につき車を止めた。
雑草の生い茂る耕作放棄地に頑丈に掲げられた看板。
一瞬「がんばろう石巻」の看板を思い出す。しかし...。
文字の下に土木・建築会社の企業名が。違和感...。

本来のどかな農村風景が広がっていただろう道路の脇に積み上がる黒のフレコンバック。
その光景がどこまでも続く。
いたるところで見かける除染作業員。
色違いの作業着にヘルメット、マスク姿。
スクリーニング場もところどころで見かける。作業者用、一般者用...。

国道6号線にでる。去年走った道。
ロードサイドの店舗の壁はくずれ、雑草は伸び放題。
止まっていた車は、雑草に飲み込まれている。

6号線から富岡駅方面へ。
住宅の瓦は落ち、商店街の窓ガラスは割れたまま。
富岡駅前で車を止める。
富岡駅は海から近く、津波にも襲われた場所だ。
DSC_0308.jpg
駅は撤去されたが、回りの店舗、住宅はそのまま残っている。
駅の海側には、黒のフレコンバックが延々と続いている。
そしてフレコンバックの先に真っ白な大きなプラントが。
DSC_0306.jpg

車を降りて少し歩く。
そこへ1台の警察車両。どうやらつけられていたか。
僕らの前に立ったのは2人の若い警官。2人とも20代前半位か。
にこやかな表情で話しかけてきた。
「観光ですか」
ほー、そう聞くんだ。少しカチンときた。
ボランティアで石巻に行く途中だということを告げる。
しばらくボランティアの話を聞かれた後、免許証の提示を求められる。
ほー、身分確認ねぇ。免許証を受け取るとノートにメモした。
なんか腹立たしい。
その後、勤め先とボランティアの所属団体を聞かれる。
さすがにそれは答える必要はないだろう。拒否。
その後も警官はまとわりついてくる。
結局車に乗り込むまで10分近く、そばを離れず、たわいもない話を続ける警官。
それは物見遊山の輩をたしなめるものではなく、現実を見せない為の職務としか思えない。
(しかし、警察もよりによってまだ線量の高いこの地区に若者を配属するなんて。)
DSC_0314.jpg

なんでこんな街になってしまったんだろう。
この街はいったいどこへ向かうのだろう。
誰も責任をとらないまま。

この街の復興って何なのか今の僕にはわからない。
今は時間が止まり、未来を失くした街にしか見えない。それが本当の気持ちだ。
こんなこというと風評被害だなんて言われるのだろうか。


つづく


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カテゴリ :東日本大震災

NOTE 95) 復興って

 2015-07-06
サッカー女子W杯。残念ながら2連覇はできなかった。

昨今の話題といえば、新幹線での焼身自殺。
公共の乗り物の安全対策ばかりに話題が行くが、
なぜ彼が自殺しなければならなかったかについては目がいかない。
もはや自殺は当たり前のことなのか。

政治の世界に目を向ければ、数の力でのやりたい放題。
国会審議や各党代表の討論会の問答は、小学校の学級会にも劣る。
どうも政治家や役人の嘘やごまかしは許されるものらしい。
失敗しようが、損失を与えようが誰も責任を問われない。
人の命に係わる安全保障の問題が語られるが、憲法との整合性がとれていない。
もはやこの国の民主主義のシステムは破綻しているのではなかろうか。

国立競技場の建設費用に2500億円かけるという。
ばかげているとしか思えない。
人は競技に感動するものであって、競技場はただの器でしかない。

経済もおかしい。
世界中にバラ撒かれたマネーはもはや制御不能状態。
株価や為替レートの増減はその国の強さを表してるとは思えない。
マネーが自己分裂し、そして喰らい合う。

自然災害も相変わらず猛威をふるう。
離島で火山が噴火し、島の面積が40倍になった。
口之永良部島では全島民の避難が続く。
箱根や浅間の噴火レベルは引き上げられ、集中豪雨で山が崩れる。

なにか違う方向に進んでないか?とんでもない方向に...。

7/4~5。
いつものように石巻市雄勝の仮設住宅のお茶っこのお手伝いに行ってきた。
仮設住宅生活はすでに5年目を迎える。
まだおよそ9万人の人達が仮設で生活を送っている。
復興住宅の建設は進んでいない。
後3年位仮設での生活を余儀なくされる人もいるという。
未だに将来を描けない人達がいる。
ここでは生活のすべてが変わってしまった人がたくさんいる。
4年前にすべてを失い、一生懸命生きて、何かを手に入れ、また失うことを繰り返す。
いったい誰の為の復興なんだろうか。

忘れてしまっていませんか?東日本大震災のこと。
もういいんですか?被災地に暮らしている人のことは。
自問してみる。
被災地の今を考える。


つづく
カテゴリ :東日本大震災

94) 生きる力

 2015-04-27
【雄勝の人は生きる為の力にあふれている。】

26日宮城県石巻は雄勝の仮設住宅のお茶っこのお手伝いに行ってきました。
お茶っこには、NPOの人達がお茶うけに全国の銘菓を用意して持っていくのだけど...。
最近はこちらの方がごちそうになりっぱなしになっている。
今回は獲れたばかりの銀鮭のちゃんちゃん焼き、イノシシの肉(放射線検査済)、
とれたての山菜、タケノコのおこわ、特大カキフライ、わかめetc.
どれも旬でおいしいものばかり。
こんな食材を海で、山でとってくるのは男たち。
朝早くから船にのり、とったばかりの鮭を持ってきて、さばく。
命綱まで装備して山に入る男たちは、時期を逃さないように一気に山菜をとってくる。
それを女達が手際よく調理していく。
おいしくない訳はない。
(山菜のあく抜きは2日がかりでやるそうです)
田んぼも畑もやる。各家でつくる地味噌は分け合う。
リアス式の小さな漁村で農林漁業はどれをとっても決して規模は大きくない。
だけどとっても豊かだと思う。お金に換える技術だけが人の力じゃない。
生きる為に必要な力は、都会に暮らす人の比ではない。
ここの人達だからあの震災を乗り越えられたのかもしれない。
ぼくらはあの大災害の後、生き残れるだろうか。

カテゴリ :東日本大震災

NOTE 91)

 2014-10-31
夏の出来事を書けずに2ヶ月。
自分なりに思うところがあっていろいろ考えているうちに時間ばかりが過ぎて行く。

今年の夏、いつものように福地の夏祭りに参加する為東北へ。
ルートは常磐道経由でいわきで高速を降りて、
そこから南相馬まで一般道で原発事故による規制地域を迂回するルート。

福島県HPにある迂回路図を見ると、いわきから南相馬まで一般道を使って迂回すると140kmあるとのこと。
いわきと南相馬は直線距離だと70km位だから約倍の距離ということになる。

果たして一般道を走ってみると...。
しばらくは日常となんら変わらない道を行く。但し、浪江方面に抜ける道にはすべて通行止めの案内板。
349号線を北上すること1時間半。
ようやく「南相馬」方面の看板が見えた。
原発の警戒区域の広大さを肌身で感じることになった。

この「南相馬」方面の交差点を右折し、349号線から12号線に入ると、状況が一変した。
IMG_1037.jpg

そこは居住制限区域に指定されている「飯館村」だった。

谷合の広大な田んぼは雑草に覆われている。
町には人の気配はない。商店や公民館は閉じられたまま。
ここも雑草が生えるのにまかせたまま。
廃墟同然の店舗も。
そしてそこかしこにはためく黄色の幟。そこには「除染作業中」の文字が...。
時折目に入るのは黒いフレコンバッグ。野積みされている...。

除染は基本的に表土を剥ぎ取り、変わりの土を入れる。
それは農地も変わりない。道路や宅地と同じだ。

米や野菜作りの基本は土づくりにある。健康な土だからこそおいしい米や野菜ができるのだ。
表土を入れ替えられることは、致命的なことなのだ。
また何年もかかる土づくりを始めなければならない。

さらに放射能の放出が止まっているわけではない。
基準値(基準値ってなんだ?)以下の放射能は今も毎日放出され続けている。
7月には原発のガレキ撤去作業に伴い、高濃度の放射能に侵された粉塵が風に流され、
相馬市の試験米が汚染され、基準値を超える放射能が検出される事態になった。
廃炉まで何十年かかるかわからない。
その廃炉作業中にまた、なんらかの事象で放射能が拡散されるかもしれない。

直近の食品中の放射性物質の測定結果は以下の通り。

■食品中の放射性物質測定結果~平成26年度8~9月

測定品目    測定件数  セシウム検出件数  検出値(最大値)
アミタケ      1件      1件         10,900.0 Bq/kg
アワタケ      1件      1件           926.0 Bq/kg
イノシシ      2件      2件          7,550.0 Bq/kg
イノハナ     15件     15件         72,100.0 Bq/kg
クリ        14件     14件           387.1 Bq/kg
ゴーヤ(鉢植え)  3件      0件          ND(検出せず)
サクラシメジ    3件      3件         40,700.0 Bq/kg
千本シメジ     1件      1件           219.0 Bq/kg
トチの実      5件      5件           591.0 Bq/kg
花ミョウガ     22件     19件           349.6 Bq/kg
ブルーベリー    2件      2件           130.0 Bq/kg
マツタケ       4件      4件          1,710.0 Bq/kg
メグスリの木    1件      1件           724.0 Bq/kg
ヤマボウシ実   15件     15件           218.6 Bq/kg
ヨモギ        27件     26件          2,840.0 Bq/kg

いいたて村までい企業組合HPより

震災前の飯舘村の「までい宣言」

「までい」というこの言葉は、私たち飯舘人が古くからなじんできた言葉です。
私たちは、親や年寄りから
「食い物はまでいに(大切に)食えよ」
「子供はまでいに(丁寧に)育てろよ」
「仕事はまでいに(しっかりした・丁寧に)しろよ」
と教えられてきました。
「手間隙を惜しまず」「丁寧に」「心をこめて」「時間をかけて」「じっくりと」
そんな心が“までい”にはこめられているのです。

私たちは
「手間隙を惜しまず」「丁寧に」「心をこめて」「時間をかけて」「じっくりと」
「つつましく」暮らす、飯舘流スローライフを
“までいライフ(MADAY LIFE)”と呼ぶことにします。
これはファーストライフの対義語ではなく、
また、これまでの多くの行政施策に見られたイベント中心の一過性のものでもありません。
私たちのふるさと飯舘村が本来持っている歴史や風土を再認識し、
人間本来の楽しい「暮らしぶり」や「生きざま」をつくりあげようという、
飯舘流スローライフ「までいライフ」の提案てす。


戻りたい人、戻りたいけど戻れない人、戻らない人...。

何なんだろう目の前に広がってる風景は...。
こんな風景があっていいはずはない。
IMG_1038.jpg

大型ダンプが粉塵を巻き上げて走り過ぎて行く。

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NOTE 90) 2014家族旅行

 2014-10-28
今年の夏の家族旅行、3年連続で東北です。
で、今年も波板浜での海水浴がメインイベント
自分の都合ばかりで家族にはちょっと申し訳ないのですが...。

さて去年と同じように、夏祭りの翌日家族と合流。
学校の都合で参加できなかった息子もこれには参加できました。

さてお昼すぎに仙台駅で家族と合流。今日はそのまま仙台泊なので、
とりあえず青葉城跡へ、伊達正宗像を見に。
家族で訪れるのは3年目にして初めてです。
震災で落ちた大鷲の像が、動物のみたいなところに入れられていて、ちょっとおかしかった。

初日の最大の目的は牛タン。これがあるから家族が来るといっても過言ではありません。
お店のオープン時間に合わせて入店するくらい気合が入ってます。
今までの経験から余計なものはorderせず、ひたすら牛タン単品
何人前食べただろう。

2日目は波板浜で泳ぐつもりだったんですが、あいにくの...。
という訳で松島へ。
松島も家族で来るのははじめて。自分も学生時代以来かも。
遊覧船に乗って湾内一周。この海につきでた小島や岩が津波を小さくしたとか...。
松島は津波の人的被害がなかった所です。
晴れていればもっと綺麗なんだろうけど、空も海もグレー一色なのが残念。
松島
さて湾内クルーズを終えて昼食の時間。
こちらは当然ここまで来たんだから海鮮をと思っていたのですが、
あの牛タン屋さんがここにもあることが判明。
多数決の結果牛タン屋に行くことに。どんだけ好きなんだ牛タン!

昼食後波板海岸に向かいます。しかし雨は強くなるばかり...。
石巻のイオンと女川マリンパル(仮設)で食材調達して15時過ぎに波板へ。
マリンパル女川
自分にとっては2度目の交流センター泊、家族にとっては初めてのセンター泊です。
今回は4人なのでロフトで宿泊です。

しばらくセンター長のAさんのお話しをお伺いしていると、雨も上がってきました。
となるとやっぱり海へ。
波板海岸
雲が厚くて、海も灰色。寒くて泳ぐ気にはなりません。
それでも膝まで浸かって、遊ぶんだから子供って元気ですよね。
しばし、海で遊んでからセンターに戻ると、手持無沙汰の子供達を見かねたのか、
Aさんが工房で、玄昌石(雄勝石)割り体験をさせてくれました。
うまく叩ければ剥がれるように綺麗に割れるんだけど、これがなかなか難しい。
ななめに剥がれたり、欠けてしまったり...。
玄昌石割
でも子供達にはいい経験になったようで、綺麗にわれた石をもらって嬉しそうでした。
今後工房の機材も増やして、玄昌石をつかったクラフト体験も企画していきたいそうです。
またコースターなど販売品も開発していきたいとか。

さて翌日...。雨がパラパラ...。
それでも海に入りたい娘。
午前中ちょっと雨が上がったその時を逃さず、水着に着替えて海へ。
波板海水浴
夏とはいえ、肌寒いくらいなのに本当に元気だ。

さて海から上がって、交流センターでシャワーを浴びさせてもらい帰路へ。
Aさんから毎年来てくれて嬉しい。5年続けて来てくれたら、ご褒美だと言われ、
娘も嬉しそう。これで小学校のうちは毎年波板で泳ぐことが決定だ。
玄昌石クラフト体験含め、またいろいろな体験ができるといいね、娘よ。

帰りがけ前回寄ったカフェ「」に行きました。
前回気になっていたパフェ、みんなで食べました。おいしかったです。

さて我が家について遅めの晩御飯。スーパーでお寿司を買いました。
これを頂いた玄昌石のプレートにのせると...。
寿司
いい感じです。ビールもうまい。

小さなつながりですが、毎年続けていくってことが、きっと大事なんだと思う今日この頃です。



カテゴリ :東日本大震災
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