NOTE58)東北子どもまちづくりサミット in 東京ビッグサイト
2012-05-14
ブログの更新が1ヵ月間開いてしまった。というのもゴールデンウィークに事務所移転があって、
かなりバタバタしてしまっていたのだ。ほんとに。
実は事務所の引越しは3度目なんだけど、今回荷物が多くなっていたせいか、
はたまたネットワークをいじろうと思ったからなのか、
なんかいろんな人との打ち合わせが多くて、いまだに落ち着かない。(汗
という訳で移転後最初のブログです。
以前このブログでも紹介させてもらった「東北子供まちづくりサミット」。
その東京での発表が5月5日の子供の日に、ビッグサイトでありました。
この活動の詳細は前回のブログを参考にしていただくとして...。
あれからも継続的に活動は進められてきました。
本当に素晴らしいと思うのは、この活動に参加するのを、子供達が楽しみにしてるということ。
実際はいろいろつらいことがあったはずなのに、
いろんな人とコミュニケーションとることで、刺激を受けて、どんどん成長していくみたいです。
実際市長さん、県長さんにも会ってまちづくりの提案をしてきました。
そして少しづつではありますが、子供達の案が現実に向かって動きだしています。
山田の子供達が提案したキャラクター「まつしい」。
今イベントで本物の着ぐるみになって登場。
陸前高田の子供達が提案した「あかりの木」
規模は小さいけど、復興商店街のイベント広場に設置されることが決まりました。

↑あかりの木の模型。暗くなると中からライトでてらされる。
石巻の子供達が提案した「誰もが楽しめる音楽のある街」
さすがに行政の仕事でライブハウスは難しかったけど
来年完成予定の「こどもセンター」では、子供達の提案が随所に取り入れられるということに。

↑こどもセンターの模型。
具体的に進んでいるこういったもの以外にも、
今後いろいろ取り上げられるものがでてくるといいですね。
発表のあとは子供達とのワークショップ。
いろいろなテーマで子供達と話し合いをさせていただきました。

↑段取りを聞いて、この後グループに分かれてワークショップ
自信を持ってまっすぐに語る子が多くてびっくりしました。
子供だからといって頭ごなしに何でもダメだししちゃいけないですよね。
テーマになった「大人の考える未来」って、あまりにも現実的で理想論的な未来しか描けなくて、
なんか自分の夢の限界を感じてしまいした。
今、子供達に「あなたの考える未来ってなんですか?」って聞かれたら、
あなたは何と答えますか?
こどもサミットの詳しい報告は「セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン」のHPでどうぞ。
カテゴリ :東日本大震災
NOTE57)東京でできる被災地支援
2012-04-16
去る4月7日、東京・中野の哲学堂でお花見のイベントが実施されました。哲学堂といえば、高校時代友達の家が近くにあって、よく訪れていた場所です。
今ではこの季節、中野駅から哲学堂公園まで見事な桜並木が続いていて、
有名なお花見のスポットになっていますが、自分が高校生の頃は、哲学堂はともかく、
中野通りの桜がさほど有名ではありませんでした。
あの頃はまだ桜の木が若かったからでしょうか。自分も歳をとってしまったわけだ...。
さて、このイベントですが、日本体育施設グループ主催、第一興商共催で、
RQ災害教育センターが物販を共催しました。

(RQ災害教育センターは、
旧RQ市民災害救援センターが母体となってできた災害教育実践の為の市民団体です。)
RQさんとは個人的にも、会社的にも支援物資やボランティア活動等で繋がりがありましたので、
今回もイベントで使うのぼり用のポールとスタンドの貸し出しを致しました。
そのイベントの様子がRQさんから届きましたので、このブログでも紹介したいと思います。
物販としては、被災地のお母さん達がつくったアクリルたわし「編んだもんだら」や、
南三陸町のTシャツや雑貨、写真集。それとお花見ですから東北の海の幸の加工食品やお酒など。

↑「編んだもんだら」 後ろに見えるのぼり用のポールを貸し出しました。(ちっちゃい協力...)

↑気仙沼、塩釜の物産販売

↑買っていただいたかたとのコミュニケーションも大事
全部で1000点位持ち込んだようなんですが、ほぼ完売したそうです。
会場には三分咲きの桜の大きなポスターを掲示して、
買っていただいた方に桜の花びらの色紙をお渡しして、メッセージを書いてもらい、
ポスターに貼ってもらうといった企画も実施しました。

最後には見事な満開の桜のポスターになったようです。
さて、このような都内で行うイベントでも中心的に活動するのはボランティアの皆さん。
被災地にいけなくても、被災地を支援する方法はあるものです。
実際に被災地に行ってお手伝いをすることも大事だと思いますが、
被災地に行けなくとも、東京で間接的にお手伝いすることも意義のあることだと思います。
まさに縁の下の力持ち。
被災地の現場は日々、その日やることだけで精一杯。
東京でできることは、東京でやらないと現場が効率的に動けません。
ボランテイアの募集から説明会の実施、問い合わせの対応。
はたまた支援物資の調整から、ボランティアの足の確保。
そういった事はボランティアに参加する多くの人がいる東京で行うのが効率的です。
ボランティアの為のボランティア。現地に行けなくてもやれることはたくさんある訳です。
去年の今頃、ゴールデンウィークを前に、自分も支援物資の件やボランティアのことで、
何度か問い合わせを入れて、説明会にも参加しました。
まだまだ支援物資の依頼も多い時期で、支援物資の依頼から送り出しが頻繁に行われ、
またゴールデンウィークに向けボランティアの数も激増し、
問い合わせ等非常に忙しかった時期にも関わらず、丁寧に対応していただきました。
(決まったことを杓子定規にしか言わない行政機関の対応とはえらい違いでした。)
現地ボランティア活動は一見派手に見えますが、
こういった東京に残って活動してくれている人達に支えられている訳です。
そして今後は今回のイベントのように、東京で行う東北支援の機会も増えてくると思います。
なんといっても一大消費地ですから、キャンペーン・イベントどんどんやってほしいですね。
東京でがんばった人、現地でがんばった人、それぞれですが、
東京で一緒になって活動できれば素敵ですね。
カテゴリ :東日本大震災
NOTE56)いわきにて思うこと。
2012-04-10
親戚に不幸があって、両親を連れて、4月8日、9日と福島県いわき市に行ってきました。いわき市に行くのは約1年ぶりです。
一年前のゴールデンウィーク、宮城でのボランティアの帰りに
震災のお見舞いを兼ねて親戚の家に立ち寄りました。
それ以来のいわきです。
去年のゴールデンウィークにいわきを訪れた時は、まだいわきの社会福祉協議会では
県外からのボランティアを受け入れておらず
ガレキなどの片付けなども全然進んでいない時でした。
その時に回った小名浜地区の様子が下の写真です。


まだ一部の民間ボランティアに入っているだけで、
津波で使えなくなった家財道具が、被災した家の前で積み上がっていました。


小名浜の港では陸に上がってしまった大型船がそのままの状態でした。

当時、親戚の方から聞いたいわきの状況は極めて悪いものでした。
それは、地震・津波はもとより、放射能の問題があったからです。
当時聞いた話です。
原発事故当初、原発の状況が良くわからず、
不安から県外に出ようとする人達が高速バスターミナルに殺到し、
高速バスは時刻表に関係なく、ピストンで運転されていたようです。
また、市の広報車で外出しないよう、呼びかけがあり、自宅退避していたのですが、
その後なんの広報もされなかった為、1週間も自宅に閉じこもっていたそうです。
あとで市に問い合わせしたところ、自宅退避するような呼びかけはしていないというのです。
地元の消防団が見切りで流した情報かもしれないとか...。
まず、正確な情報が何も入ってこないこと、
行政が何をしているのかさっぱりわからないことに苛立ちを感じているようでした。
ゴールデンウィークの頃すでに、小学校のクラスでは、10人にひとりが転校し、
留学生を受け入れていた叔父が勤めていた短大では、留学生がみんな帰国してしまったそうです。
いわき市内の人通りも、ゴールデンウィーク中にもかかわらず、確かに閑散としていました。
いわきの親戚の家からは毎年お米や野菜を送っていただいていたのですが、
帰り際、「今年はもう送れないね」と寂しそうにいわれた時に、
返す言葉がありませんでした。
それから一年。
ですが、状況は何も変わっていない気がします。
小名浜の去年訪れた集落へも行ってみました。
崩れた道路は補修されていました。
ガレキや半壊家屋は取り壊され、基礎だけ残る、まさに廃墟と言った感じです。
たまに車が行き交うだけで、当たり前ですが人の生活感はまったく感じられません。
残った塀には綺麗な花が描かれています。基礎と基礎の間には花が植えられていました。
廃墟化した町に少しでも、人のぬくもりが感じられるように、
ボランティアの人達が描き、植えたものでしょうか。
ガレキは学校脇の広場に野積みされています。
震災前までは、ガレキなんて言われるものではなかったものです。
生活の一部として大切だった家屋、家具、道具だったのですから。
小さな港では、漁船が波止場に打ち上がったままです。
港にもどしても、漁業自粛中だから戻してもしょうがないからなのでしょうか。
いわきのビジネスホテルはどこも一杯でしたが、なんとか駅前に確保はできました。
聞くところによると、いわきのビジネスホテルは、
原発関連の作業員の人達が長期で宿泊していることが多いそうです。
ホテル内でみかける人もビジネスマン風にスーツを着ている人はほとんどいませんでした。
チェックイン、チェックアウトする人達は、だいたい大きなキャリーケースを転がしています。
自分がフロントにいた時に、チェックインする人は7泊すると告げていました。
斎場に向かうタクシーで運転手さんが言っていました。
「自分も福島の食べ物はあんまり...」
斎場に集まった人達の話し声。
「近所の人に家でとれた野菜のお裾分けをもらったんだけど...」
お通夜の後、駅前の飲み屋さんに入りました。
今年OPENした全室個室のしゃれたお店です。
さてなにを食べようか、本来なら地上げの魚が一番おいしいのでしょうけど、漁業自粛中だし...。
考えることはありませんでした。
メニューに刺身はもとより、魚のメニューがほとんどないんです...。
この現実を一日本人として、どう背負って行くべきなのか。なにができるのか。
いわきにて想うこと。
カテゴリ :東日本大震災

